単焦点標準レンズ原理主義者、究極の単焦点標準レンズを妄想する

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Nikon F, NIKKOR-H•C Auto 50mm f2, KODAK EKTAR 100 @Paris

「単焦点標準レンズ原理主義者」なんだか字面にすると恐ろしくも見える。自分自身は、原理主義者のつもりはないけれども、手元にあるレンズは、Nikon FにつけているNIKKOR-H•C Auto Nikon F 50mm f2と、Leica IIIaにつけているSummicron f = 5cm 1:2の2本しかない。

何を持って標準とするかについては色々な説があるが、35mmフィルムでは50mm前後のレンズが標準とされることが多い。

初めて一眼レフカメラのファインダーをのぞいてみた時に、見えているものが拡大も縮小もされず、ただ目の前の風景をフレームで切り取っているように感じた。ちょうど、両手の人差し指と親指でフレームを作って構図を決めるのと同じように、カメラのファインダーで景色を切り取っているようだった。指でフレームを作るなんて、カッコつけだと思っていたのが、今では構図を探すためにときどきやってしまう。

究極の単焦点標準レンズとは何かと考えてみると、それは裸眼で見たままと、ほぼ同じに見えるレンズではないか。つまり、右目でファインダーをのぞいて、左目を開けて普通に見たときに(あるいは逆でもいいが)、綺麗に立体視できるようなレンズ、と言うことだ。

試しに、Nikon FにつけたNIKKORで試してみると、ファインダー越しに見える像は、わずかに小さく、歪んでいることがわかる。立体視できなくもないが、度の狂ったメガネをつけているかのようだ。

この定義でいくと、35mmや28mm、あるいは85mmは当然外れるだろう。それぞれのレンズをつけてファインダー越しに見て立体視できる気がしない。

ただ、これは当然、カメラのファインダーの性質にもよるから、一概には言えなさそうだ。そしてレンジファインダーカメラには当てはめられなくなってしまう。

ストレートな表現が好きな自分としては、そんなレンズがあったらなと思っている。もしかして、すでにそういったレンズ(とカメラの組み合わせ)があるのだろうか?あるいは、ズームレンズをうまく調整すれば、そういった画像が得られるのだろうか?

© 2016 SAKAI Hiroshi