ブルックリンミュージアムのマネークリップ、綺麗な薄い財布

Kiss

Nikon F, NIKKOR-H•C Auto 50mm f2, FUJICOLOR 100 @Paris

はてなブログ、あるいは、はてなブックマークを見ていると、なぜか定期的に「薄い財布」の話題が上がってくる。みなさん、それぞれこだわりがあるようで、ついつい読んでしまう。

薄い財布は、持ち物を最小限にできて、かさ張ることもなく便利だ。今、使っている財布は、ブルックリンミュージアムのマネークリップ。

ブルックリン ミュージアム / マネークリップ

機能は本当に最小限で、お札を挟むクリップと、切符なんかを挟める小さなスリット、それにカード入れが三段あるだけ。小銭入れはない。

小銭入れがないと、不便に感じるかもしれないと危惧していたが、いざ使い始めると、なくても事足りる。むしろ、小銭を持ち歩かなくなって、自販機でものを買うことがほとんどなくなり、節約にすらなっている。

カード入れも、そんなに多くは入らないので、必然的に、日常生活に必要なカードを厳選することになる。今は、ID、保険証、定期券、クレジットカード、よく行くお店のポイントカード2種の、合計6枚だけ。各段に2枚づつだ。

使われている革は、フレンチカーフというもので、これがビビットでかつ上品な非常に美しい色の革だ。どの製品も、革の色とステッチの色が違っていて、綺麗なコントラストになっている。使っていると、「綺麗だね」「可愛い!」「エロい」などなど、色々とコメントをもらった(財布にエロいというのは、どういう意味だろう)。

昔は、東京駅そばの新丸ビルに店舗が入っていて、東京駅に行くたびに、ちょっとのぞいて行くのが楽しみだったのだけれども、今は青山本店だけのようだ。

写真からも革の美しさを見て取れるけども、やはり実物を見て欲しい(ポジフィルムのように)。新品の美しさ、それと使い込んで色が変化したもの、両方見せてもらえると思う。

フレンチカーフは、経年劣化に強いと言われているけども、どうしても色はくすんできてしまう。でも、汚くなるというよりも、より落ち着いた色になる、という印象だ。もうすでに3年以上使っているけども、みすぼらしい感じはしない。

すごく良いモノだけれども、あまり流行って欲しくもない、でも、その良さを伝えたい、そんなブランドだ。

黒白、ボケ、非日常。写真の上達を妨げるもの

Sake

Nikon F, NIKKOR-H•C Auto 50mm f2, FUJICOLOR 100 @Tokyo

「良い写真」と言うのが、どんなものかは未だにわからない。ある写真を見たときに、これは良い写真だ、と感じることはできるけども、それを言葉にして表現するのが難しい。

なんとなく、パッと見たときに良い写真だと感じてしまう要素に、黒白、ボケ、そして非日常の三つがある。

この三要素に共通する点は、「見慣れていないこと」。スマートフォンやコンパクトデジタルカメラで写真を撮っていると、あえてモノクロ写真で撮ることは少ないだろう。機種にもよるけども、こういったカメラのレンズでは、綺麗なボケは期待できない。非日常的な珍しいものを被写体にした写真は、当然、見慣れていないので新鮮に見える。

もちろん、この要素があるから悪い写真ということはない。ただ、安易に頼ると、他の重要な要素を見落として、写真の上達を妨げるのではないか、と感じる時がある。

黒白でもカラーでも、ボケでもパンフォーカスでも、非日常でも日常でも、「良い写真」を撮りたい。

単焦点標準レンズ原理主義者、究極の単焦点標準レンズを妄想する

la boutique-paris

Nikon F, NIKKOR-H•C Auto 50mm f2, KODAK EKTAR 100 @Paris

「単焦点標準レンズ原理主義者」なんだか字面にすると恐ろしくも見える。自分自身は、原理主義者のつもりはないけれども、手元にあるレンズは、Nikon FにつけているNIKKOR-H•C Auto Nikon F 50mm f2と、Leica IIIaにつけているSummicron f = 5cm 1:2の2本しかない。

何を持って標準とするかについては色々な説があるが、35mmフィルムでは50mm前後のレンズが標準とされることが多い。

初めて一眼レフカメラのファインダーをのぞいてみた時に、見えているものが拡大も縮小もされず、ただ目の前の風景をフレームで切り取っているように感じた。ちょうど、両手の人差し指と親指でフレームを作って構図を決めるのと同じように、カメラのファインダーで景色を切り取っているようだった。指でフレームを作るなんて、カッコつけだと思っていたのが、今では構図を探すためにときどきやってしまう。

究極の単焦点標準レンズとは何かと考えてみると、それは裸眼で見たままと、ほぼ同じに見えるレンズではないか。つまり、右目でファインダーをのぞいて、左目を開けて普通に見たときに(あるいは逆でもいいが)、綺麗に立体視できるようなレンズ、と言うことだ。

試しに、Nikon FにつけたNIKKORで試してみると、ファインダー越しに見える像は、わずかに小さく、歪んでいることがわかる。立体視できなくもないが、度の狂ったメガネをつけているかのようだ。

この定義でいくと、35mmや28mm、あるいは85mmは当然外れるだろう。それぞれのレンズをつけてファインダー越しに見て立体視できる気がしない。

ただ、これは当然、カメラのファインダーの性質にもよるから、一概には言えなさそうだ。そしてレンジファインダーカメラには当てはめられなくなってしまう。

ストレートな表現が好きな自分としては、そんなレンズがあったらなと思っている。もしかして、すでにそういったレンズ(とカメラの組み合わせ)があるのだろうか?あるいは、ズームレンズをうまく調整すれば、そういった画像が得られるのだろうか?

コダック、エクタクロームの復活、ポジフィルムの美しさ

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Nikon F, NIKKOR-H•C Auto 50mm f2, KODAK EKTAR 100 @Prague (Praha)

新年早々、嬉しいニュースが飛び込んできた。なんと、コダックがエクタクロームEktachromeの生産、販売を再開するというのだ。2017年1月5日のラスべカスで行われていたCES (Consumer Electronics Show)で発表された。

 

オリジナルプレスリリース(英文)

Kodak Brings Back a Classic with EKTACHROME Film | CES 2017 Press Release | Kodak

 

日本語のプレスリリース

コダック、エクタクローム フィルムでクラシックを復活させる

 

ニュース等

 

フィルム、特にポジフィルムは化学製品の塊で、一度工場を閉めてしまうと、その複雑さから再開するのは非常に大変だと聞いていた。このEktachromeも、もしやOEM?と勘ぐってしまったが、どうやら違うようで安心した。上記のTimeの記事によると、ニューヨーク州ロチェスターにあるKodakの工場を、この一年をかけて復活させるそうだ。

コダックのポートフォリオ・マネージャーのDiane Carroll-Yacoby氏によると、「黒白やネガフィルムとは違って、ポジは非常に独特のフィルムだ。再生産することは、我々にとっても非常に困難なプロジェクトだが、カスタマーの声に応えるために、再開を決定した。」(上記timeの記事の要約拙訳)

Kodak Alarisが言うには、ここ数年、プロフェッショナル向けのフィルムの販売数は上昇しているそう。復活させて欲しいと言う声も、ここ数年、高まっていたようだ。

オリジナルのフィルムが生産中止になったのは、2012年のこと。フィルムで写真を撮り始めた時には、すでに生産中止になっていて、試す機会がなかったのだけれども、ポジフィルムの話題になると必ず名前が上がるような、名フィルムであったようだ。本物のポジをのぞいたことがないので、Flickr等で見た感想になってしまうが、Fujiのポジに比べて、淡い色合いのフィルムという印象を受ける。

このデジタルコピー全盛期にもかかわらず、ポジフィルムの原盤は、デジタルで再現するのが最も難しいものの一つだろう。反射光と透過光で見るのでは、たとえ同じ色でも、全く違う印象を受けるのだから、これはある意味で当然だ。それはつまり、オリジナルのフィルムがまだまだ価値を持つということでもある。どこかで誰かが言っていたけども、この関係性は、ステンドグラスとその写真のようなもので、どんなに頑張って綺麗なステンドグラスの写真を撮っても、実物にはかなわない。そんな唯一無二の作品が撮れるフィルムが復活するのだ。

2017年も、どんどんフィルムを使って、盛り上げていきたい。

お題「やっぱりフィルム写真が好き!」

エスニックジョークに学ぶブログ運営?

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Nikon F, NIKKOR-H•C Auto 50mm f2, FUJICOLOR 100 @Paris

ブログを始めるにあたって、色々とウェブで調べていると、いやでも目につくブログ群がある。曰く「今月のpvはoo万でした!」「この方法で月収oo万円です!」等々。こういったタイトルを見るたびに、このエスニックジョークを思い出さざるを得ない。

ポーランド人はユダヤ人に金持ちになる秘訣を聞き出そうとする。
 ユダヤ人はもったいつけて、しかしいくらかの金を出せば教えないでもないと言い、ポーランド人はいくらかを支払う。
 ユダヤ人はうだうだ中身のないことを語りだしては途中で話を打切り、これ以上聞きたいなら更に払えと促す。
 ポーランド人はまた金を払い、ユダヤ人はまたうだうだ話して打切り、更に払えと……というのを繰り返す。
 とうとうポーランド人は怒り出し、お前の魂胆が分かった、うだうだ中身のない話をして俺から金を騙し取ろうというのだろうと、ユダヤ人を責め始める。
 ユダヤ人はうなずいて曰く、やれやれ、やっとわかったかね、金持ちになる秘訣がどんなものか。

金持ちになる秘訣の話/頭のよい人は「頭のよい人」なんてタイトルについた本を読まない 読書猿Classic: between / beyond readers

ジョークになるほど、古典的な手法で、なおかつ、この時代でも十分通用する方法なのだなと、感心してしまった。

写真の評価、被写体の影響

Flower

Nikon F, NIKKOR-H•C Auto 50mm f2, SUPERIA 200

写真は、写真そのもので評価されるべきだと信じたい。つまり、その写真を撮ったカメラやレンズ、フィルムやデジカメの種類、あるいは撮影者によってではなく、あくまで、最終成果物である写真で、良いものか、悪いものか、判断した方が健全だ*1

それでも、写真の評価は、被写体に大きく影響されるのは免れない。これは、人物写真だとか、ジャーナリスティックな写真によく当てはまることだ。例えば、全く同じ構図、全く同じ色合いでも、被写体が違うと、受ける印象が違う。計算され尽くされた構図に、無名の人物が写っているのと、歴史的人物が写っているのでは、評価がガラリと変わってしまうだろう。あるいは、その被写体を知っているかどうかでも、評価が変わってしまう。

被写体の力に頼ることなく、何らかの感情を動かす写真、そんな写真が撮りたい。

*1:と言いつつも、その写真をどんな条件で撮ったのか知りたいので、撮影機材情報は載せている

光に対する感受性、デッサンの必要性

Winter is comingNikon F, NIKKOR-H•C Auto 50mm f2, SUPERIA 200

写真を撮り始めてから、明らかに光に対する感覚が変化した。それまで、せいぜい、暗いとか明るいとかのレベルでしか認識できていなかったものが、光の柔らかさだとか、影のつき方だとか、うまく言葉にできないけども、光に対して「美しさ」を感じるようになった。

人は、本質的に、見たいものしか見ないし、見られらない。だからこそ、昔から人はスケッチをしてデッサンをして、普段は意識に上らない詳細を見えるように訓練してきた。道具は進歩して、今は何も考えなくても写真を撮れるし、出来上がった写真の情報量は、当然デッサン以上だ。でも、本当に見えているかというと、それはまた別の問題。写真を撮る人こそ、デッサンが必要なのかもしれない。

© 2016 SAKAI Hiroshi